ふんわり主婦日記

普通の主婦である私の日常を綴る日記。

10月もあと二日☆

今日はイオンのお客様感謝デー☆

キャラのご飯を買いに、出掛けなければいけません!!
5%オフは主婦の見方であります(@^0^@)

今日は30日。
本当にあっというまの毎日です。
明日で10月が終わり、そして2ヶ月で今年も終わり・・・。
この頃、年をとったのか毎日がとても早く感じます^^;





きのうの義父の闘病の続きです。

入院してから3日間は、本当に義父は元気でした。
『本当に癌なの!?』というぐらい、どこにも痛みがなく、おトイレも
車椅子ですが、スイスイと行けていました。
今まで義父は足が悪く、立ったり座ったりすると電気が走るような痛み
があったのですが、それもなく、なんと『あぐら』をかいてベットに座っていたり、足を組んだり出来ていました。

それだけ麻薬がよく効いていたのです。(一気にかなりの麻薬量を増やしました。)
その代わり、副作用で義父はナニュラルハイ?みたいな感じで、目がギンギンし、全く寝ないでも平気になり、感情の起伏もかなり激しくなりました。


この三日間は『はよ帰してくれ!! ワシの家なんやから帰るのに誰の許可がいるんや!!』など、私達3人にずっとつっかかっていました。
「まだ安定していないから駄目なんだよ」と言っても、自分が癌だともいう事もず〜っと昔に忘れている義父は、痛みもなく食事は出来なくても動き回れるのにどうして入院をしなければいけないんだ!!という感覚しかなかったのです。
この頃の義父は『ワシの病気は治った。もうどこも痛くない!!』でした。


この三日間は義父をなだめるのには本当に大変で3人で手こずりましたが、一度も「痛い!」という言葉を聞かなくてもよかったので、本当に3人とも「入院をしてくれてよかった」と言っていました。
自宅で、「痛い、痛い!!!」と苦しむ義父に何も出来ない事が本当に
辛かったのです。


その3日間が終わる頃(一度使用した麻薬の効きは3日間)、段々義父に痛みが出だしました。
それから、モチロン麻薬の使用量は上がっていったのですが、それでも追いつかない感じで、この三日間以降まともに3日間麻薬が効いた事は
ありませんでした。

麻薬の量が上がるにつれ、幻覚も見え始めました。
「男がこっちを覗いている」「壁から女の人が入ってきた」など・・。
また相変わらず味覚障害もあり、ジュースでごまかしたりしながら水分を補ったりしていたのですが、唇の端っこは裂け血の塊になり、喋ると
血が流れていました。

肺にも転移していたので、だんだんと義父の息も苦しくなってきていました。少し喋るとはぁはぁ・・と、そして「胸の辺りがザワザワするんや。なんでやろ? なんかおかしい」と言うようになりました。

麻薬が良く効き、痛みが出ていないと義父は無理をして(本人は無理していないみたいですが)動き、感情の起伏が激しいのでちょっとした事でも
怒り、それに体力を使うのか、翌日は調子が悪いし痛みが出る・・、なのでまた痛み止めが増える・・・という様な毎日の繰り返しでした。

それもだんだん麻薬の量が増えて痛みがなくなっても、体力がないので
フラフラになってきました。
起き上がる事が難しくなってきたのです。


またこの頃には、極度の栄養失調で足はパンパンに腫れていました。
今まで「人の足ってこんなにも腫れるの!?」というぐらいの腫れで、
腫れすぎて、足の爪などが見えなくなるぐらいに腫れあがっていました。土踏まずなどモチロンなく、足首もどこにあるかわからないくらい
でした。
腫れあがった足にはいくつもの肉割れ?妊娠線?が出来始めました。

そして、その腫れた足も限界にきました。
ある日、義父の下のパジャマを見るとビショビショでした。
義父の尿は真っ赤に近いオレンジ色の尿だったので、尿では
ない(尿がパジャマに付くと色でわかりました)とわかっていたので
「お水をいつのまにか飲んだのをこぼしたの?」と思い義父に聞いて
みると、お水など飲んでいない・・と。

すぐにパジャマを着替えさせようと思い、脱がせようとしたらその
パジャマがヌルヌルしているのです。
慌ててパジャマを脱がせて足を見ると、足の肉割れの部分から組織液
が流れ出ていました。
それもいろんな場所から・・・。
パジャマがビショビショになるくらいです。
腫れに腫れあがった足の水分がついに限界がきて、皮膚を破り流れ
だしたのです。
痛み止めが効いている義父は、この痛みはほとんどなかったのが救い
です。
普通の人ならきっと発狂してしまうんじゃないかと思うと、泣けてき
ました。
義父の前では泣けないので、すぐに看護師さんを呼んでガーゼを当てる
などの処置をしてもらっている間、一人でトイレで泣きました。
義父は助からない、癌なんだとは頭ではわかっていたのですが、それを
もう一度、目の当たりにして頭を叩かれたような気持ちになり、悲しくて悲しくて泣けました。
今でもあの、べとっとした組織液の感触は忘れられません。
それから、義父が亡くなるまで一度も組織液が止まる事はありません
でした。数時間置きにガーゼの交換が必要になったのです。
義父の足は最後まで大きいガーゼまみれでした。


痛み止めを段々と上げていくと、副作用で今度は眠気、胸の辺りのむかつきがきつくなってきました。
食べ物も水も口に入れていないので、吐くものはないのですがよくえずくようになりました。
痛みが取れても、むかつきは取れませんでした。
(吐き気止めは使っていましたが、ほとんど効き目はありません)


段々義父の体力がなくなり、日中ベットで横になりながら話をするようになりました。
それまで義父は座ろうとしていました(自分が元気だと見せて、早く退院しようと思っていたので)

話す内容は、いろんな事。
日中は義父と二人っきりだった事がほとんどだったので、本当にいろんな話をしました。
「あの二人には内緒やで^^」とか、二人の知らない話とか、調子が
いいと本当にいっぱいいろんな話をしました。
よく笑わせてくれました。
話の内容だけを聞いていると、元気そうなのですが、そこには土気色で白目には黄疸が激しくなっている義父が目の前におり、複雑な気持ちでもありました。

そしてその頃から、義父はよく「手をつなごう!」と言うようになりました。
「お義父さん、なんで?」と聞くと、「いいやんか、手をつなぎたいねん^^」と。
ベットで横になりながら手をつないで、いろんな話をした事を今でも
よく覚えています。

この頃は「ワシは入院をして何日目や?」と聞くと「2日目だよ」(本当は10日はすぎていました)、「そうか、まだ2日目か」と、記憶障害も
きつくなり、ついさっき話しをした事や時間の感覚もわかりずらくなっていました。


義父が手をつなぎながら、「ちちおちゃんは本当にいい子や。感謝してるで、ありがとうなぁ。よっピーは一人っ子でちょっと気の弱い部分もあるけど、優しい子やと思う。二人仲良く助け合っていってな。よっピーを助けたっていってな。」と何度か言われました。
泣きそうになり「お義父さんもよっピーと私をこれからも助けてくれ
へんかったら困るやん! 私達よく喧嘩するねんから!」と言うと、
「うんうん、そやなぁ。はよ元気にならなあかんなぁ^^」と返して
くれました。

この頃には義父も、今までと違う自分の体の変化に不安を覚えていて、
死を悟りだしたのかもしれません。



あとから聞くと、よっピーも義父によく手をつなごう!と言われて
泊まっている時はよくつないでいたとの事です。
そして、手をつなぎながら「よっピーよ。これからお前がしっかりしていかなぁあかんねんで。お前がしっかりするねんで。これから二人で頑張っていくんやで。よっピー、頑張れよ。」と言われたそうです。
よっピーも「親父、何言ってるねん。親父も早く体をよくせなあかんねんで!!」と言ったそうですが、「そやな。でも頑張っていけよ」と義父は返したそうです。


義母には「ワシはなんの病気や?」とよく聞いていたらしいです。
義母が「癌やで」というと、「癌かぁ、じゃぁ死ぬんやなぁ」と義父
が答え、義母が「何を言ってるん! それをよくするために入院をして
るんやろ! はよ治そうなぁ」というと、「そうやなぁ、また旅行
行きたいからなぁ」と答えていたそうなのですが、一分もしないうちに
また「ワシはなんの病気や?」と義母に質問していたそうです。



それからちょっとすると、義父は喋れなくなりました。
正確には喋れないのではなく、何を言っているのかわからないのです。
「ううぅうぅ〜」と義父は喋っているつもりなのですが、全く言葉に
なっていないので、こっちが聞き取る事が出来ず、意思疎通が出来なくなり、義父はイライラしていました。
それと同時に、義父は同じ体制でいる事が出来なくなりました。
常に動いているのです。
ベットの上で。
フラフラと手すりをつかみながら、何かを言いながら起き上がり、
手すりを持つ力が限界になると、倒れるようにベットに寝転び、
またフラフラと手すりを持って起き上がり・・・。
これをず〜っと続けていました。
視界も定まらず、うぅぅ〜っとフラフラと起き上がろうとしては
バタン!と倒れこみ。
こちらとしては寝ていたほうが安心だし、体力を奪うと思ったので
3人で「寝たほうがいいよ」と寝かそうとさせると、手を払いのけ、
またず〜っと同じ動作を繰り返していました。
後で聞くと、こういった麻薬の副作用もあるし、脳に転移をしたのかもと言われました。

数日後、この手すりをつかんで起き上がる力もなくなり、手すりをつかむのですが、起き上がれなくなりました。
それでも体のどこかは、ずっと動いていました。

あとよくしていた動作は壁に手をパンパン当てて、ずっと何かを言っている義父。
よくよ〜く聞くと、ず〜っと小さい声で義母の名前を言っていました。
よっピーと私が「お母さん、お父さんがずっとお母さんの名前を呼んでるよ」というと、義母は「お父さん、私はここにいるよ」と手を握るの
ですが、もうこっちの言葉は聞こえていませんでした。
この時には義父はずっと薄目を開けて、天井を見ていました。


それから何日かして段々、手足がずっと動いている事がなくなり、何をしても反応がなくなりました。
危篤にはいったのです。



危篤に入ってから十数時間、義父は息を引き取りました。
一度も目を覚ます事なく、静かに静かに亡くなりました。
たくさん義父につけられていた機械をはずし、酸素マスクを
はずすし、真っ赤な尿がたまっていた尿の袋と導尿の管を
抜いてもらうと、さっきまで病人だった義父の顔がまるで
眠っているかの様な、綺麗な顔になっていました。

「あぁ、義父はこれで仏様になったんだなぁ」と思うと、悲しいと
いうより、もう痛みで苦しむ事もないし、本当に本当にお疲れ様と
ありがとうという言葉しか出ませんでした。


毎日義母かよっピーのどちらかが必ず泊り込んでいた個室はいつの間にか荷物がいっぱいになっていて、それをすべて片付けると、狭い部屋だったのがガランと大きく感じ、とてもお天気がよかったので、お部屋が明るく感じました。

この部屋にはもう泊まる事はないんやね、と言った義母の言葉を
覚えています。



実際、まだ義父が亡くなったように感じません。
まだ義実家へ行けばニコニコとで迎えてくれるような気がしますし、
病院へ行けば、ブツブツ文句をいいながらベットで座っているような
気もします。


もっとこうしてあげればよかったなぁとか、もっと優しく接してあげればよかったなぁとか、いっぱい反省する事はあるのですが、実際まだ
ピンときません。

ただ、もう痛みに苦しまなくてもいいんだね、本当によかったねお義父さんって思う事はあります。
8月末から、亡くなるまで義父は痛みに苦しんだので、これだけは
本当によかったなぁとは思えるのですが。


そんな事を言っているあいだに、またすぐに四十九日の法要があります。ほんとあっという間で、感情が追いつかない感じの毎日。
よっピーもまだ実感がないようです。


願いがかなうなら、もう一度だけ一緒に旅行へ行きたかったです。
かなりワガママで子供っぽい義父で、たくさん困らされましたが、
感謝の気持ちでいっぱいです。
それに、やっぱり寂しいです。




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コメント


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のぶぶのぶさん

こんばんわ☆
お久しぶりです(@^−^@)

のぶぶのぶさんもおばあ様を一年前に亡くされたのですね。
先ほどブログを拝見しました。
法要も終わられたばかりなんですね。

ほんとなんだかぽっかりと穴があいた感じもしますが、
でもまだ義父が生きているような変な感じの毎日です。

義父は後半から急に手をつなごうとよく言い出しのです。
ちょっとつなぐのではなく、ベットごしにずっと手を
つなぎっぱなしで。
寂しかったのか、怖かったのか、しんどかったのか・・・
わからずじまいでしたが、普段手の冷たい私よりも冷たかった義父の手の感触を覚えています。

その時に何を話しをしたのか・・・。
よっピーや義母が知らない話も色々としてくれたんですよ。
内緒やからって^^;

のぶぶのぶさんもおばあ様の手をもう一度握りたいんですね。
私ももう一度義父の手を握って、話をしたいです。

ちちお | URL | 2007年11月01日(Thu)21:23 [EDIT]

こんにちは(^.^)

お久しぶりです。

大変でしたね。でも、ちちおさんが一生懸命にいろいろやってくれたことは、義父さん、ちゃんと分かってくれてるよ。

私は一年前に祖母をなくしています。
今日、このブログを読んで、思いっきり思い出しました。

ちちおさんは、ほんとよくやったと、私がいうのもおかしいかもしれませんが、文章から伝わってきます。

義父さんの手をつなぎたくなる気持ちなんか、よく分かる。
病気の時って、ほんとそう思うよね。
義父さん、ちちおさんと手をつなぐと、ほんと安心できたんだろうな〜(^.^)

私も、もう一度手を握りたいって今思っちゃった。

命。今、いろいろ改めて考えさせられました。

ちょい、うるうる・・・・

のぶぶのぶ | URL | 2007年10月31日(Wed)00:56 [EDIT]

ちょめさん

こんばんわ☆
義父の最期の顔は本当に安らかな眠っているような
微笑んでいる顔でした。
痛みに耐えて頑張ったからこその顔だなぁと思いました。
義父の病気の発覚以来、本当に義父と濃い毎日を過ごした
ので、義父の言葉、その時の表情などすべて覚えています。
何も出来ませんでしたが、3人で義父の最期を見送れた事
だけは、寂しがりやの義父にしてあげる事が出来る唯一の
事だったので、これが出来てよかったと思います。

ちょめさん、乳がん検診に引っかかれたのですね。
人間ドックは結構ひっかかりやすいと聞くので(実際、友人数人も会社の人間ドックで乳がんにひっかかりましたが再検査をすると大丈夫でした)、簡単に大丈夫とは言えませんが、ご主人様の勧められる通り、早めに再検査をなさって
下さいね。
大丈夫だと思いますが、早く安心したいですもんね。
何もない事を祈っています。

ちちお | URL | 2007年10月31日(Wed)00:03 [EDIT]

ちょめはまだ近い親族亡くしたことがないのですが、
記事を読んで号泣してしまいました。
もちろん、お義父さんも頑張られましたが、
ちちおさん、よっピーさん、お義母さん、
大変なご苦労だったと思いますし、
皆さんの熱心な看護があってこそ、
お義父さんの最期のお顔は安らかだったのだと思います。

旦那さんは癌で父親を亡くしているので、
旦那さんもこんな思いをしたんだろうなぁと。
そしてなるべくなら私が1日だけ旦那さんより長生きできたら、
さみしい思いをさせなくて済むなぁと思いました。

実は人間ドッグの乳がん検診に引っ掛かりました。
経過観察中ですが、旦那さんが早く最新の病院で細胞検査をしてくるようにとせかしてきます。
ちゃんと行ってこようと思います。

ちょめ | URL | 2007年10月30日(Tue)20:49 [EDIT]

すみきちさん

こんばんわ☆

そうですね。
やっぱり寂しさに慣れるという事は人間はないんですね。
まだまだ手続きなどがあり、実感はないのですが、義父の
いない家に行くと、亡くなったんだなぁと・・。
不摂生な生活だったので、ゆっくりと以前の生活に戻して
いこうと思っています。

ちちお | URL | 2007年10月30日(Tue)20:24 [EDIT]

ちちおさん、お久し振りです。

お義父さんのこと…本当にお辛かったと思います。ブログを読んで、すごく感じました。そして長い間の看病の生活、本当にお疲れ様でした。お義父さんも、ちちおさんやご家族が皆一生懸命看病をしてくれたからこそ、安らかに逝くことができたのだと思います。
人が亡くなるって本当に辛いし、寂しいことですよね…いつか来ることと思いながら、なかなか受け入れることは難しいですよね。それに悲しみに浸る間もなくの葬儀、法事、諸手続きがたくさんで大変ですよね…。

いろんなことが少し落ち着いたら、ちちおさん自身もゆっくりされてくださいね^^

すみきち | URL | 2007年10月30日(Tue)18:05 [EDIT]