よっピーが義父の夢をみたそうです。
内容は、よっピーと義父で土手沿いを歩いているとの事。
遅くなったらいけないからとよっピーが義父に、
『もう、そろそろ帰ろう』と話かけました。
すると義父は、
『先に帰っておいてくれ。』
と。
義父は足が悪いので1人では帰れないだろうとよっピーが
『一緒に帰ろう』
と言ったそうです。
すると義父は、
『ワシはあとから行く。だから先に1人で帰ってくれ。
ワシはもう思い残す事は一つもない。
感謝している。ありがとう。
だから先に帰ってくれ。』
と言われたそうです。
その言葉を聞いてよっピーは、あぁ、義父は死んだんだったな・・・と夢の中で思い出した・・と。
そこで夢は覚めたらしいのですが、よっピーが
『思い残す事は一つもない・・か。
もっと親孝行してやればよかった。』
と言いました。
義父が亡くなって半年。
急にふっと義父の事を思い出し、涙が出る事があります。
寂しいです。
もっと何か出来たのではないか、他に方法がなかったのか・・・とか。
残された私達は今まで通りの生活ですが、何か足りないようなそんな感覚がまだまだあります。
親孝行。
もう義父には何もしてあげられませんが、義母には出来ます。
義母に親孝行する事が義父への親孝行になるよ、とだけ言いました。
義父が亡くなってから、親のありがたさをよく考えるようになりました。
当たり前のようにしてくれていた事、私にはまだまだ出来ないことだらけです。
毎日おいしい御飯を作ってくれていた事に、もっとありがとうと言えばよかった。
毎日お洗濯をしてくれて、綺麗に洗ってくれてありがとうって言えばよかったと思います。
義父は亡くなってしまいましたが幸い、よっピーにも私にも親孝行出来る親がまだいてくれます。
これからもっと、もっと親孝行していければ、もっと感謝の言葉を口にだしていけたら・・・と
思っています。
本当に親ってありがたい、大きい存在ですよね。

先週の金曜日に、義父の四十九日の法要を行いました。
寒い中、義父のお友達の方にも来ていただき、義父もきっと
喜んでいるだろうなぁと。
このところ、まだバタバタしていました。
やはり四十九日が終わるまでバタバタしちゃうものなんですね。
というか、要領の悪い私もいけないのですが・・・^^;
お葬式などのお礼状の宛名書きや、お返し、喪中はがきを用意して
宛名を書いたり(結婚してから義父の年賀状の宛名書きは私の仕事でした)
実家で法要を行ったので、ちょっと大変でしたが家が大好きな義父には
よかったと思います。
話は変わりますが、お葬式などの時も思ったのですが、義父のお友達の
方と義父はすごく強い繋がり、絆があるなぁと。
義父は戦争経験者です。
学生の時に戦地に学生の兵隊として外地(国外の戦場)へ行っています。
義父がいた隊は80人の隊で、生き残って帰ってきたのが義父を入れて5人。
義父からは逃げ回っていたと戦争の話はよく聞いていましたが、生死を
供にした戦友の方達とは、すごく強い絆があります。
法要の後の食事の場で、義父の戦友の方達に色々とお話を聞いたのですが、みんなで武器もなく死体の上をほふく前進で見つからないように歩いたり、食べるものがなく草や虫を食べたり・・・と義父との思い出話を聞かせていただきました。
そんな生死を供にした方達と、義父は30年ほど前から戦友会(最初は30人ほどいらっしゃったらしいです)を作っていて、年に一度旅行へ出掛けていました。
それはもう毎年、楽しみにして。
今年も楽しみにしていたのですが、行けず・・。
そんな強い絆のある方達は、戦友会の誰かが亡くなったら棺を担ぐと
決めていたようで、足の悪い方もお葬式で義父の棺を担いで下さいました。
戦友の方の一人が「最初の戦友会の発足時は30人程度の戦友がいたのに、今は5人になってしまった。私の時は担いでくれる人がいるんだろうか」と話されていました。
そういえば義父も元気な時は、「ワシは元気だから死ぬのが最後だし、誰も棺を担いでくれへんやろうなぁ^^」と言っていたのを思いました。
帰ってからよっピーと「義父さん、戦友の方に棺を担いでもらって幸せだっただろうね」と話をしました。
すごくすごく強い繋がり、絆のある義父と戦友のみなさんの関係が
とても羨ましく思いました。
きっと私達には考えられない、想像も出来ない経験を供にしてきた戦友の方だからこそ、すごく強い絆があるんだなぁと。
最後に戦友の方が「どんな順番になるかはわからないけど、また何年後かに上(天国)でみんなで戦友会をするよ^^」と言って帰られました。
お義父さん、戦友のみなさんを見守っていてね。

今日はイオンのお客様感謝デー☆
キャラのご飯を買いに、出掛けなければいけません!!
5%オフは主婦の見方であります(@^0^@)
今日は30日。
本当にあっというまの毎日です。
明日で10月が終わり、そして2ヶ月で今年も終わり・・・。
この頃、年をとったのか毎日がとても早く感じます^^;
きのうの義父の闘病の続きです。
久しぶりのブログになります。
もう10月も終わりですね。
早いです。
今月10日、義父は亡くなりました。
まだ亡くなったという実感はなく、義両親の実家へ行けば『ちちおちゃん、来てくれたんかぁ♪』とで迎えてくれるような気がします。
バタバタとお葬式が終わり、そのあとの事務手続きに追われる日々。
よっピーも義母も税理士さんや司法書士さんとの話し合い、市役所、税務署・・・へ出向いたり
と、ゆっくりする暇もなくあっというまに10月が終わろうとしています。
義父はとても綺麗な顔で亡くなりました。
義母は「あの安らかな顔が唯一のなぐさめ」というように、本当に綺麗な顔をして旅立ちました。
お葬式でもみなさん「本当に綺麗お顔」と言って下さりました。
入院してからのお見舞いは一切お断り(誰にも知らせませんでした)していたので、この安らか
な顔を見れば、義父が苦しんだなど誰もわからないくらい、安らかな顔でした。
続きは義父の闘病生活になります。
大丈夫でしたら、読んで下さい。
約一ヶ月ぶりのブログです。
お返事など出来なくてごめんなさい。
8月の終わりぐらいから義父の体力が落ち、自宅で医療器具を
持ち込み療養する毎日が続いていました。
看護師さんに教えてもらい、私が点滴・・・。
もう、気を使いクタクタの毎日で。
そして先週、救急車で運ばれた義父。
今は入院中で、様態は落ち着きました。
ご飯などは一切食べれませんが、車椅子でなんとかおトイレへも
行けています。
寂しがりやの義父。
24時間つきっきりの入院生活で、私も朝から夜12時すぎまで
病院で付き添い、義母とよっピーが交互に泊り込んでいます。
まだ慣れない生活なので、ブログが滞っています。
お返事も書けずにいます。
ごめんなさい。
もう少し落ち着いたら、お返事を書かせていただきます。
本当にごめんなさい。
とりあえずは報告まで・・・。
少しの間、ブログから離れていました。
今週から、義父の食欲などがグンと落ち病院通いを始めました。
今までは惰性ででもビールを2、3本は飲めていた義父。
今週からは1本だけになりました。
そしてきのうは半分だけ・・・。
食欲もほとんどなく、きのうは固形物を食べたのは茶碗蒸しを
三口ほど。
これだけでおなかが張ってしまい、痛くなるみたいなのです。
肝臓が腫れているのか、肝臓の裏にあたる背中に少しでも
手を当てると痛くてたまらない様子。
長時間ではないですが、断続的な痛みが増えてきました。
おなかも腹水がたまってきたのか、下腹がふくらんできました。
今いただいている痛み止めもあまり効かないようなので、
もう少しだけ様子をみて、痛み止めを今より強いものにしようかと
先生とも話をしました。
次からは少量ですが、モルヒネが入ります。
あまりにも食欲がない、少し食べるとおなかがはって苦しいので
食べる事が出来ないので、毎日2時間の栄養剤の点滴を始めました。
通院になるので通うだけでも体力を奪うと思うのですが、入院を断固
拒否しているので仕方ありません。
肺にも転移しているので胸水もたまりはじめ、息がすぐにあがるように
なった義父。
それでも自分は元気でどこが悪いの?と聞いてくる義父をみているのは
胸がつまりそうになります。
もう完全にガン告知をされた事は頭にないみたいです。
それは義父にとっては幸せだと思うのですが、毎回「どこが悪い?」
と聞かれる義母の事を思うと辛いです。
これから毎日の通院になります。
先生は自宅で使用出来る痛み止めの範囲を超えたら入院をしましょうと
おっしゃっています。
義母は「早く入院をしてほしい。入院をしてくれたほうが安心だし、
本人も楽なのに。」と言い、義父は「どこも悪くないんだから入院はしない」と言い・・・。
それを聞くよっピーも辛いはず。
グチは言わないよっピーも精神的に参ってきているみたいです。
モチロン、仕事が終わり毎晩2時近くまで義両親の家で過ごし、帰ってきてからお風呂に入り、寝るとなると毎晩3時くらいになるので睡眠時間が3時間なので体力的にも参ってきているみたいで・・。
共倒れにならないように私は私の出来る事を一つづつしていこうと
思っています。
義父の通院。
やはりこの2週間、食欲が落ちたせいで痩せたのがわかりました。
頬骨が出てきた様な気がします。
顔色も以前より随分黄疸が目立ってきました。